かつらしげもり

文金高島田

気品あふれる凛としたさまが
最も上品な髪型として愛好され、
花嫁の正装に多く使われます。

文金高島田とは

文金高島田の大きな特徴は、島田髷にあります。数々の髷の中でも島田髷は、江戸時代の未婚の女性の代表的な髪型でした。根を上げ、髷を高く取り付ける事で、最も上品とされ、凛とした見た目から若さを象徴している形といわれ、多くの方々に愛されたとあります。
そして、そのきっかけとなったのが、男性結髪様式の一つで、髷を高く結った「文金風」があり、その高さを優雅とされ、次第に女性にも取り入られるようになり、文金高島田に発展したとされています。その頃は、江戸中期の八代将軍徳川吉宗の時代で、その時期に改鋳された貨幣(小判)を文金とよびました。髷を高くする事で優雅で上品とされた髪型が、花嫁特有の髪型とされるようになったのは明治時代以降ではないかと考えられています。

文金高島田の各部名称

綿帽子と角隠し

綿帽子

綿帽子の起源は、室町時代の「嫁入り記」に記述があります。江戸の中期頃は、大奥の女中が外出用に被っていたようですが、それが次第に若い女性の婚礼に用いられるようになり、女性の教養書等にも描かれ、富裕な商人等が真似をして次第に定着していったと言われています。 明治以降、上流階級の儀式に憧れた庶民が真似て広がっていきました。特に寒い地方では、家から家に嫁ぐ際に使用されていました。基本的には、式が終ると外すものとされています。 ちなみに、綿帽子は挙式中の白無垢のみに合わせられ、その他の色打掛や振袖と合わせることはありません。

文金高島田の綿帽子

角隠し

角隠しは、元々「揚げ帽子」と呼ばれていました。武家の女中が外出する姿で、塵除けとして被っていたようです。明治時代以降、身分制度が廃止され、服装が自由になり花嫁の被り物として一般に用いられたようです。その後、明治20年代頃に角隠しとして使われ始めたようです。大正時代から昭和初期には、綿帽子に代わって角隠しが花嫁の代名詞になるほど隆盛を極めたと言われています。その頃のスタイルは黒地の大振袖に角隠し、高島田に結上げられた姿でした。基本的には、式が終ると外すものとされています。 綿帽子と違い、角隠しの場合は、挙式中の白無垢や色打掛、振袖と合わせて使用されます。

文金高島田の角隠し

結婚式と文金高島田

江戸時代中期では、高島田を結えたのは上流武家の子女(お姫様)のみで、通常の一般市民には結えない憧れの髪型でした。ちなみに、高島田は結婚前まで結った髪型で、結婚後は丸髷という髪型にしていました。
一般市民が結えるようになったのは、封建制度が崩壊した明治時代に入ってからです。
東京銀座「かつら岡米」の岡田米蔵氏が黄綬褒章を受章した後に記した冊子によると、かつらが婚礼で一般に使われるようになったのは、大正時代末期から昭和初めくらいの頃に執り行われた、住吉にある会社社長のご令嬢の結婚式からです。挙式は洋式で済まし、お色直しで文金高島田を結いました。その艶やかな文金高島田の花嫁姿に列席した人は驚嘆したとともに、着替え含めて2〜30分で早く出てきた事が一同不思議だったそうです。当時は、自髪で結うのが普通だったので、この変身ぶりは新聞にも掲載され、一般に広がったとされています。

昭和30年代後半には、テレビドラマで有名女優が被るなど、舞台用やテレビ用のかつらも多く使用されました。花嫁かつらは、その典雅な型に多くの人々が惹きつけられました。その後も、結婚式やテレビなどで芸能人もかつらを多用し、その花嫁かつら姿が世に多く認知されていきました。
明治から大正、昭和と時代が移り変わる中で、女性の着るものが着物から洋服へと変化し、髪型も時代と共に変わっていきました。その時代の変化の中でも、かつらが婚礼で使用され、芸能人などが高島田のかつらで結婚式を挙げる姿が世間に広まったこともあり、江戸時代から現代まで高島田という髪型が受け継がれてきました。

文金高島田に合うかんざし